断捨離の達人

断捨離って認知されましたよね。

うまいこというなぁって、センスを感じます。

 

ちょっと片付けて、物を捨てるとすぐ「断捨離」なんて言う。

それはたいして処分ができない私の断捨離である。

 

20代の頃の職場の先輩(3つほど上)がいる。

私には彼女こそ断捨離の達人ではないかと思う。

整理整頓がとても上手で、うまく持っているものを使って

生活をコンパクトにしておられる様子。

結婚してから仕事をしていないせいもあるのかもしれないが、

この時代にあって、PCはおろか、スマホガラケー

そして留守番電話も(FAXも)生活の中にない。

ご主人が辛うじてガラケーを使っている。

独立をした子供たちは今風のIT生活をしている。

 

彼女の場合は、これまで不便でもなく

あえて近寄る必要もないので触れることもなく

憧れもないから生活に入ってこない。

これが正解のようです。

興味があっても、なかなか手がだせない…

そういう事は微塵もないようです。

そのかわり、何かを知りたいときには

電話をよこします。

 

「調べておいて」と。

 

簡単スマホでもあれば、今は何でも教えてくれるのに。

…それは言ってもしょうがない。持つ気ないから(笑)

 

去年、彼女は写真のほとんどを処分したそうです。

自分の子ども時代から若いお姉さん時代、現在の写真まで。

子供たちの写真はおそらく子供たちに渡したのだと思うが。

溺愛している孫の写真は処分対象外である。

 

その断捨離された写真の中には、

私も含む、若い頃の友だちの多くがいる。

連絡を取れる人には、何かのときに処分したことを

伝えているそうで、

すでに連絡がとれていない人たちの写真には

塩をかけて、焼いているとの事。

 

なかなか思い切ったことをするもんだ。

 

これが私の感想なんだけど、

でも、それを聞くと自分もそうしようかなぁとも思う。

そんなに想い出に浸る事もないし。

 

けれど、思いきれないのは

若い頃の自分を捨てること。

諦める事、と言ったほうがわかりやすい。

若い頃は今よりもずっと人間として成長していなくて、

未熟だったけど、

けれど若かった(笑)

 

まだ一度も肥ったこともない身体。

キレイだった肌。

生気のある目。

 

もう戻れないからこそ、捨てられない。

 

このまま処分をしなければ

いつか訪れる私の死後に

子どもや孫が遺品整理をしながら

こんな若かった頃があったんだ! 信じられない!と

一瞬だけにぎわうのかもしれない。

 

それまで残すのか、想い出に手をふるのか

その答えさえ、出す日はくるのか(笑)