もう少しあなたの姪でいさせてください

名曲「秋桜」から盗みました(笑)

もう少し、あなたの子どもでいさせてください

 

さだまさし氏は言葉の天才だと思います。

 

母は8人兄弟姉妹の上から6番目。下は妹と弟。

存命は母の妹の「叔母」ひとりとなりました。

私の母は45歳の時にすでに他界しています(母が45歳)

 

破天荒な母親で、自分の正義は貫きとおす。

それが決して世間の正義と違っても(笑)

おそらくは、怖い物はほとんど存在していなくて

自分の考えと違ったら、町内会の集会にも

酔って殴り込みをするような破天荒極まりのない女性でした。

お陰で、私はずいぶんと恥ずかしい思いもしたものです。

 

私は母をある意味、反面教師にしてきたので

世の中には怖いものがたくさんあって、

長い物には巻かれて、時には忖度もすべきだと思って生きています。

決して似てはいないです(笑)

そして、たくさん困った人生を私に強いて

飲みすぎで体を壊し、15歳の私を残して

早々に旅立っていった母を

 

私は、とうに許しています(笑)

許すはおこがましいね。親であり、先人だから。

いい人生だったね。お疲れさま!って思いかな。

 

母の妹である「叔母」には子供の頃から可愛がってもらいました。

母より3歳若く、肝っ玉のすわった「おっかさん」という感じでした。

私は家にいる事が難しい時期がなんどかあって、

その度に汽車に乗って、叔母のアパートに行っていました。

母から叔母に連絡をいれてあって、叔母は事情も聴かずに

少しの間置いてくれていた感じです。

 

プレスリーが好きで、いつも文庫を読んでいて、

ハスキーで話も面白い、この叔母が私は好きでした。

なにより、いつでも迎え入れてくれる叔母が好きでした。

 

母を亡くしてから、大人になって、

大人になると、だんだんと距離ができるようにもなって

それでも何かの時に会うと、気にかけてくれて

何か買いなさいとお金をくれました。

 

母の姉である伯母が9年前に亡くなったのを最後に

叔母には会う機会がなくなっていました。

早く会いに行かないと会えなくなる。

そんな思いをここ数年ずっと持ちながら、なかなか…。

 

叔母からの年賀状の住所が施設名になったのを機に

思い切って施設に電話をして、様子を聞いて

面会が出来ると確認をして、

1月の半ばにやっと訪ねる事ができました。

 

叔母はまた一回り小さくなっていました。

でも、目ヂカラの強さは残っていて、

私の事もよーく覚えていて、懐かしい話をいっぱいしてくれました。

8人いた兄弟姉妹も自分ひとりになって

多分複雑な思いもたくさんあると思うけど

昔とおりにカラカラっとした風情で

叔母さん、変わらないなぁ…って、嬉しく思いました。

 

1時間くらい居て、帰り際の施設の玄関で

叔母が施設の職員の方に言った言葉が

 

「姉の子どもなんだ」

 

そうだった。

私は「姉の子ども」だったんだ。

ずっと昔は「妹の子ども」でもあった。

なんて懐かしい言葉なんだろう。

もう、「姉の子ども」って呼んでくれる人は、この叔母しかいない。

 

玄関で、叔母の手を持って

「雪がとけたらまた来るから」

そう言って、帰ってきました。

 

もう少し、あなたの姪でいさせてください。